アロマテラピーの歴史を探る
人と香りが繋がる歴史はとても古く、始まりはアロマテラピーという言葉が生まれるずーっと前、それは、紀元前3,000年頃まで遡る事が出来ます。
1.古代
古代文明が起こったエジプトでは、ミイラを作る際、乳香(フランキンセンス)や没薬(ミルラ)などの防腐効果を持つ植物を用いられた事が知られています。
その他、香料は、宗教儀式で香りをたくだけでなく、この時代から、美容、医療の分野でも大いに利用されていたと言われています。
世界三大美女として有名なクレオパトラが、バラ好きであったことは有名です。
紀元前48年、クレオパトラはローマの英雄ユリウス・カエサルにエジプトの統治をゆだねられました。
彼女は元々の美貌・知性に加えて、権力の象徴でもあったバラの香りで誘惑し、古代エジプト女王の座を手にしたと言われています。
バラを浮かべた香水風呂に毎日入り、ローズオイルをたっぷりと体に塗りこみ、廊下にはバラの花を敷き詰めさせたというお話もあります。
また、「新約聖書」には、東方の三賢人がイエス誕生の際に、黄金と乳香(フランキンセンス)、没薬(ミルラ)を捧げたという記述も残っています。
古代ローマ時代では、50年~70年頃、軍医であった「ディオスコリデス」という方が、広く旅をしながら、様々な薬物を研究していました。
その際、600種類以上ものの植物を収載した、「マテリア・メディカ(薬物誌)」という大作を発表しました。
この書は、様々な世界で、千数百年もの間、広く利用されました。
また、77年、政治家であり軍人、そして博物誌家であった、「プリニウス」も、全37巻にも及ぶ「博物誌」を記しています。
この作品は、大自然の生態を記したもので、現在もなお読み継がれています。
2.中世
中世ヨーロッパ、ハンガリー王妃のエリザベート1世は、若くして夫を亡くしました。
その後も良き君主として国を治めていましたが、高齢になるにつれ、手足が痛む病気に悩みます。
そこで、ローズマリーを含んだ痛み止めの薬を使用したところ、症状はみるみる回復し、その上、見違えるように外見も若返りました。
その時点で70歳を超えていた王妃に、隣のポーランドの王子が求婚した、という逸話が残されています。
それからというもの、この薬は「若返りの香水」と呼ばれ、現代までそのレシピ・効能が語り継がれています。
「若返りの水:ハンガリーウォーター」のレシピ
3.現代
1937年、フランスの科学者ルネ・モーリス・ガットフォセは、精油の医療の利用を科学的に研究した一人です。
精油の医療面での利用を扱った本「アロマテラピー」を発刊すると共に、造語、「アロマテラピー」という言葉を生み出しました。
”実験中の事故で火傷を負い、とっさに目の前にあったラベンダー精油をかけたところ、みるみると回復し、そこから民間療法の研究にシフトした”という話が広く知られていますが、実はこの話は誤りを含んでおり、火傷事件以前からその研究はしていたと言われています。
しかし、アロマテラピーの発展に大きく貢献したとして、とても有名な人物の1人であることは変わりありません。
ルネ・モーリスガットフォセと並んで、近代アロマテラピーの発展に最も大きな貢献をしたのが、フランスの軍医であったジャン・バルネ博士です。
1964年、彼は、「aromatherapie」(邦題「ジャン・バルネ博士の植物‐芳香療法」)を著します。
当時、一般の間では、アロマテラピーは、呪術や占星術などの非科学的なものとして扱われていましたが、彼の活動によって、科学的に精油を扱い、医療の現場などで役立てる方法が広まり、科学的・医学的な観点でのアロマテラピーが広く認識されるようになりました。
現在、日本では広く知られるアロマセラピーでも、10数年前までは、アロマの世界は、スピリチュアルの様な、魔法の様な、一部の人しか扱えないイメージがありました。
ここまで世間に浸透するまでに、アロマでビジネス(教育や施術等)をされてきた方は、苦労も多かったと思われます。
昨今、簡単に、様々なカタチで「香り」を手に入れる事ができ、過去に、「香辛料」が豊かさの象徴であったように、現代で私達は、香りに溢れた豊かな生活を送る事が可能となりました。